根性と努力
私は、学生の頃ずっとサッカーをしていた為、何事も体育会系の考え方をしていました。
根性や努力と言う言葉を普通に使っていましたし、それに反論する文科系の人にダメなやつだな〜という思いも持っていました。
しかし、今の状況におかれて、体育会系の考え方はかならずしも、いい結果を生まないという事を知りました。
根性と努力は多くの場合大きな結果を生み出します。そういった結果が今でも、これらの事を大事と言う人が多い理由だと思います。
そして、今だに残っている、皆と同じ方向に進んでいれば、幸せが向こうからやってきてくれるという考えの下では根性があり、努力ができる人の方が有利に立てたのかもしれません。
しかし、最近はどんなことにも多種多様な選択項目が用意されています。
この選択をどう選ぶかによって、自分の人生が大きく変わってしまいます。
こういう時代に、根性や努力は自分を破滅の道に進ませる可能性を持っていると思います。
なぜなら、根性や努力ができる人は、ある意味どんな環境にも適応できてしまうからです。(本当は適応できているように見せかけているだけの場合が多い)
そういった人は、もし、自分があまりよく無い判断をしていたとしても、その中で頑張れてしまうのです。しかし、考えの無い判断は時として大きな間違いを起こします。
よくサッカー選手や野球選手が、試合中に怪我をしても根性で頑張ったりしている姿を良く見ます。日本においては、こういった行動を取る人を賛美する傾向がよくあります。私も、こういう人は根性があってかっこいいな〜と小さい頃はよく思っていました。
しかし、現実問題として、その判断は正しくないのだと思います。もし、人にかっこいいと言われたいだけなのであれば、その判断は大いに結構だと思います。
しかし、長期的に活躍をする事を考えるのであれば、絶対にとってはならない行動であると思うのです。また、チームの事を考えたとしても間違っていると思います。
高校球児が、よく怪我をして甲子園にでれなくなったいう事を聞きます。甲子園に出れないだけであればまだしも、選手生命を絶たれてしまった人もたくさんいると聞きます。
そして、その多くの理由が練習のしすぎによるものなのです。
この人たちは、一時的に練習の結果甲子園に出られなかったかわいそうだけどある意味、影のヒーロー的な存在になります。しかし、その後はかなり、苦しいものです。
自分が好きでやっていたはずの、野球ができなくなってしまうのですから。甲子園はともかくとして、野球をできなくなってしまうのは本当につらいものだと思います。
この場合選手が悪いのではなく、監督が悪いという事ができます。しかし、私達はどうでしょう?これから、様々な判断を迫られる時がやってきます。
どの会社に入社するのか?誰と結婚するのか?結婚しないのか?一戸建ての家を買うのか?マンションにするのか?今日は何もしないで家で寝ているのか?就活をがんばるのか?
この判断を下すときに、根性や努力という事を大切にするあまりに、目の前に与えられた課題をもくもくとこなす人がたくさんいると思います。結果として、その判断があっていた場合は根性や努力のできる人は大きな結果を生み出すのでしょう。
しかし、その可能性はどんどん低くなっていると思います。いつもながら大手企業の話になるのですが、大手に勤めていても気持ち的に満たされていない人がたくさんいます。努力ができる人は「こんな状態に負けてなるものか〜!」という考えでひたすら頑張り続けます。また、大手であるので、この会社にいれば間違いないと思い考える事をやめてしまいます。
今書いていて思ったのですが、今だにそういう人は偉いと思ってしまいますが。^^;しかし、必ずしもその努力が報われるとは限らないのは、その人も漠然とは感じていると思います。
そして、努力して、体力的につらくなったときに始めて自分の判断は間違っていたのだと気づくのでしょう。
それに比べ、努力や根性とは無縁で育ってきた人はどうでしょう。本当に努力が必要なときに努力できない人は困りますが、判断を下すときには、こういう人の方が、自分にとって最も良い判断を下すのだと思います。
自分が努力できないので、それを受け入れてくれるところを探すからです。探すという事は、判断をする時に良く考えるという事です。こういった人は会社でつらくなると、そそくさと、転職してしまうかもしれませんね。
体育会的な考えの人は、この判断を下すときに考えるという事を怠りがちなのだと思います。どんな課題を与えられようがこなしてやる。と考えてしまうのでしょう。
「器用貧乏」という言葉がありますが、この言葉はここまで私が書いてきた事を全てあらわしているように思います。器用であるために目の前にある課題を黙々とこなすのです。でもそれは、必ずしも結果を生まないという事です。
「男前は金持ちになれない」というのもある意味同じことを言っているのではなでしょうか?男前の定義は様々ですが、多くの男前は頼まれた事を断れない人が多いのではないでしょうか?どんなに顔が良くても、頼みごとをされても嫌ですといってばかりでは男前とは思ってもらえないでしょう。
でも、その頼まれた事をきっちりこなすのは、効率などを考えると悪い事である場合が多いです。で、結局、結果を出せないのではないでしょうか?
ここまで、色々書いてきたのですが、根性があり努力ができる人が悪いといっているのではなく、自分の力を過信するあまり、大事な判断を下す時に、適当に決めてしまうのが良くないと思うのです。
でも、逆に言えば、判断をする時に、最大の努力ができ、いざ実行するときにも努力ができる人がいればその人は長期にわたって満たされる生活を送れるのではないでしょうか?
判断をする時には、絶対に他人の意見だけで決めない事です。自分のことは自分が一番良く知っているのですから。でも、他人の意見を聞く事は重要です。判断材料を増やすからです。
以上で、今日の講義は終わります。(笑)
ってほんとに硬い内容のブログだな〜。
もっとたのし〜ブログにしようと思っていたのに^^;
ちょっとブログの方向性についても考えないといけないな!
判断はよく考えてから下す!
根性や努力と言う言葉を普通に使っていましたし、それに反論する文科系の人にダメなやつだな〜という思いも持っていました。
しかし、今の状況におかれて、体育会系の考え方はかならずしも、いい結果を生まないという事を知りました。
根性と努力は多くの場合大きな結果を生み出します。そういった結果が今でも、これらの事を大事と言う人が多い理由だと思います。
そして、今だに残っている、皆と同じ方向に進んでいれば、幸せが向こうからやってきてくれるという考えの下では根性があり、努力ができる人の方が有利に立てたのかもしれません。
しかし、最近はどんなことにも多種多様な選択項目が用意されています。
この選択をどう選ぶかによって、自分の人生が大きく変わってしまいます。
こういう時代に、根性や努力は自分を破滅の道に進ませる可能性を持っていると思います。
なぜなら、根性や努力ができる人は、ある意味どんな環境にも適応できてしまうからです。(本当は適応できているように見せかけているだけの場合が多い)
そういった人は、もし、自分があまりよく無い判断をしていたとしても、その中で頑張れてしまうのです。しかし、考えの無い判断は時として大きな間違いを起こします。
よくサッカー選手や野球選手が、試合中に怪我をしても根性で頑張ったりしている姿を良く見ます。日本においては、こういった行動を取る人を賛美する傾向がよくあります。私も、こういう人は根性があってかっこいいな〜と小さい頃はよく思っていました。
しかし、現実問題として、その判断は正しくないのだと思います。もし、人にかっこいいと言われたいだけなのであれば、その判断は大いに結構だと思います。
しかし、長期的に活躍をする事を考えるのであれば、絶対にとってはならない行動であると思うのです。また、チームの事を考えたとしても間違っていると思います。
高校球児が、よく怪我をして甲子園にでれなくなったいう事を聞きます。甲子園に出れないだけであればまだしも、選手生命を絶たれてしまった人もたくさんいると聞きます。
そして、その多くの理由が練習のしすぎによるものなのです。
この人たちは、一時的に練習の結果甲子園に出られなかったかわいそうだけどある意味、影のヒーロー的な存在になります。しかし、その後はかなり、苦しいものです。
自分が好きでやっていたはずの、野球ができなくなってしまうのですから。甲子園はともかくとして、野球をできなくなってしまうのは本当につらいものだと思います。
この場合選手が悪いのではなく、監督が悪いという事ができます。しかし、私達はどうでしょう?これから、様々な判断を迫られる時がやってきます。
どの会社に入社するのか?誰と結婚するのか?結婚しないのか?一戸建ての家を買うのか?マンションにするのか?今日は何もしないで家で寝ているのか?就活をがんばるのか?
この判断を下すときに、根性や努力という事を大切にするあまりに、目の前に与えられた課題をもくもくとこなす人がたくさんいると思います。結果として、その判断があっていた場合は根性や努力のできる人は大きな結果を生み出すのでしょう。
しかし、その可能性はどんどん低くなっていると思います。いつもながら大手企業の話になるのですが、大手に勤めていても気持ち的に満たされていない人がたくさんいます。努力ができる人は「こんな状態に負けてなるものか〜!」という考えでひたすら頑張り続けます。また、大手であるので、この会社にいれば間違いないと思い考える事をやめてしまいます。
今書いていて思ったのですが、今だにそういう人は偉いと思ってしまいますが。^^;しかし、必ずしもその努力が報われるとは限らないのは、その人も漠然とは感じていると思います。
そして、努力して、体力的につらくなったときに始めて自分の判断は間違っていたのだと気づくのでしょう。
それに比べ、努力や根性とは無縁で育ってきた人はどうでしょう。本当に努力が必要なときに努力できない人は困りますが、判断を下すときには、こういう人の方が、自分にとって最も良い判断を下すのだと思います。
自分が努力できないので、それを受け入れてくれるところを探すからです。探すという事は、判断をする時に良く考えるという事です。こういった人は会社でつらくなると、そそくさと、転職してしまうかもしれませんね。
体育会的な考えの人は、この判断を下すときに考えるという事を怠りがちなのだと思います。どんな課題を与えられようがこなしてやる。と考えてしまうのでしょう。
「器用貧乏」という言葉がありますが、この言葉はここまで私が書いてきた事を全てあらわしているように思います。器用であるために目の前にある課題を黙々とこなすのです。でもそれは、必ずしも結果を生まないという事です。
「男前は金持ちになれない」というのもある意味同じことを言っているのではなでしょうか?男前の定義は様々ですが、多くの男前は頼まれた事を断れない人が多いのではないでしょうか?どんなに顔が良くても、頼みごとをされても嫌ですといってばかりでは男前とは思ってもらえないでしょう。
でも、その頼まれた事をきっちりこなすのは、効率などを考えると悪い事である場合が多いです。で、結局、結果を出せないのではないでしょうか?
ここまで、色々書いてきたのですが、根性があり努力ができる人が悪いといっているのではなく、自分の力を過信するあまり、大事な判断を下す時に、適当に決めてしまうのが良くないと思うのです。
でも、逆に言えば、判断をする時に、最大の努力ができ、いざ実行するときにも努力ができる人がいればその人は長期にわたって満たされる生活を送れるのではないでしょうか?
判断をする時には、絶対に他人の意見だけで決めない事です。自分のことは自分が一番良く知っているのですから。でも、他人の意見を聞く事は重要です。判断材料を増やすからです。
以上で、今日の講義は終わります。(笑)
ってほんとに硬い内容のブログだな〜。
もっとたのし〜ブログにしようと思っていたのに^^;
ちょっとブログの方向性についても考えないといけないな!
判断はよく考えてから下す!
既卒、フリーター、ニート、就職への道
- 2005.06.06 Monday
- -
- 22:17
- comments(0)
- trackbacks(0)





![素材満載 ブログで作る かんたんホームページ [CD-ROM付き]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61XF13WMY1L._SL160_.jpg)