自己責任と依存〜論理的思考のその先へ〜

確か(記憶がまちがっていたらごめんなさい)弁護士になる人の実習で、ある課題に賛成派と反対派の二手に分かれて討論させ、次に賛成派になっていた人を反対派に、反対派になっていた人を賛成派に変更して討論を再開するという事をさせるそうです。

この事により、どちらにも正義や悪、正しい事や間違っている事があるという事に気づかさせるそうです。

確か芥川龍之介の羅生門も、見方によって物事は全然違って見えるという事をテーマにしていたと思うのですが、それを実習を通して経験させようとしているのだと思います。

この事を書いたのは、多くの人が偏った見方をしている場合が多いと思ったからです。

このブログや掲示板でも、よく自己責任と依存が話題にあがるのですが、どちらを主張する人も自分が正しく、相手は正しくないという立場にたってしまいがちなのですよね。

自己責任を主張する場合は、非正規社員やフリーター、ニートになるのは努力が足りないからだ。政府は規制を強めたりする事よりも、より自由化したほうが良いというような感じ。

依存している人が主張するのは、非正規社員やフリーター、ニートになるのは、政府が自由化しすぎて正社員になれる人が減ったからだ。規制を強めて、派遣社員を減らせ。という感じ。

どちらにも正しさがあり、また間違っている部分があるのは客観的に見ればすぐに分かるのですが、いざ何かを語ろうとするとどちらかに偏った形になってしまうのですよね。

何かを人に伝える時には簡略化したほうが相手に伝わりやすいので、どちらかに偏ってしまうとは思うのですが、実は多くの人が両方の考えを心の中で同時に持っている場合は多いです。

自己責任を主張しがちな人は、上記した事を言いながらも、自分が出来たように多くの人が自己責任論だけで正社員になれない事は知っています。

依存体質の人も、上記した事を言いながらも、自分が努力しない事には何も解決しない事には重々承知しているものです。

しかし、声に出した主張が自分を説得してしまうので、自己責任を声に出した人は自己責任派に、依存を声に出した人は依存派になっていくのだと思います。

この様な状態に人間はなりがちなので、それを戒めるために弁護士になるためにはあの様な実習が行われているのだと思います。

よく言われる事ですが、砂漠が多い様な環境が厳しい所では、一神教が広がるそうです。

厳しい環境下では、あれも良いし、これも良いというような考えでは行動に移るのが遅くなり、死に直結してしまうからだと言われています。

一方日本では、元々自然が豊かであるので、特に一神教だけが広がる事もなく、八百万の神と言われるように、あらゆる宗教が並列に存在しています。

この様な宗教の普及の背景が正しいのかどうかどうかは別としても、日本人は考え方に比較的柔軟性があったのは確かだと思います。

しかし、今はスピード社会ですので、早く行動に移す事が大事になりますので、二つの考えが同時平行に存在するような日本的なものよりも、yesかnoのどちらかを早く主張する事が広がり始めているのだと思います。

実際日本的な考え方は論理的思考が出来ていなくて、情緒的な思考であるとよく言われます。

yesもnoも主張することなく、「まぁまぁ」や「ぼちぼち」といった相手の態度に配慮する形の主張がよくされるのも、配慮しているというだけでなく、yesとnoを実際頭の中で考える事ができていない為というのもあると思います。

ですので、決断がついつい遅くなりがちですので、最近では論理的に物事を考え、早い決断を下せるようにする事が求められています。

そして、その様な傾向が安易にyesやnoを決めてしまう状況を作り上げたのではないでしょうか。

しかし、先ほども書いたようにその様な考え方は偏ってしまいますので、主張として通ったとしても結果が悪くなる可能性は高くなってしまうのですよね。

しかし、日本的な情緒的な考え方に戻ると決断が遅くなってしまうので、論理的な考え方をするという事は絶対に必要です。

で、その論理的な考え方をしつつ、偏った考え方をしない為の方法があの弁護士になるための実習ではないでしょうか。

自分が何らかの結論を論理的な思考の結果出したとしたら、一度その結論を投げ捨ててしまう。そして、全く反対の立場で考えてそちらでも結論を導く。

その両方を見比べて、最大に効果的な方法を立案する。

実際、こうは上手くいかないと思うのですが、論理的思考だけに頼ると、偏りの罠にどっぷりはまってしまうかもしれないので、この様な方法が重要になってくるのではないでしょうか。

できるできないは別としても、この様な考え方はこれから誰もが知っていないといけないような気がします。

追記
インターネットが素晴らしいのは、偏った主張がたくさん出る事により、本当に重要な事、本当に価値のある答えが見えやすくなる事だと思います。

そして、その様な本当に意味のあるものを見分ける複眼をもった人がどんどん増えてきています。

その結果、徐々に自分だけの都合や利益だけを考えて発言する人や行動する人は排除されるようになる環境が整いつつあるのではないでしょうか。

環境問題という企業にとってのデメリットが受け入れられるようになったのも、この様な背景も影響しているのかもしれません。

そして、巨大メディアがネット上で嫌われているのもこの様な理由からでしょうか。

インターネットという道具が人間を新たな領域に連れて行くのかもしれません。

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論理的思考



コメント
僕は、掲示板の意見だけ見ると自己責任派に分類されるんだろうなぁ、と読んでて思いました。

ホントを言えば、二派に分けて議論されるべき問題ではないと考えてます。
むしろ、二階建ての問題といったほうがいい。

もちろん政府や企業の姿勢は個人に大きな影響を与えるものです。もっとセイフティネットは広げるべきでしょうし、幅広い採用をするようにして欲しいとも思います。自己責任を唱えて好き勝手やられたんじゃたまりません。

ただ、それって、僕らに変えられるものじゃないんですよね。あるいは声を上げることで変えられるとしてもすごく時間がかかる。待っていたら、歳を重ねて更に絶望するだけです。
変わっても自分にいいとも限りません。

だから、自分の努力で何とかするしかない、というのが本当の論旨。
あくまで環境は環境として受け止め、企業や政府は助けてくれないという前提で動くほうがいい。
もし助けてくれたら儲け物ですしね。

『悩んでもどうにもならないところで悩むな。まだ自分でできることがあるだろう』
常々、自分に言い聞かせてることです。


  • パットン
  • 2008/08/05 12:33 AM
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